私は 貴方に逢えた事を 後悔などしていないから



「いらっしゃい 兄さんなら出かけてるわよ?」

山の中腹にある一軒家
人が尋ねてくるのは 珍しい部類に入るのだろうと”彼女”は認識していた
刀鍛冶を生業としているので 自然と訪れてくる者は偏ってくる
そんな中で ”彼女”と歳の近い彼が来るのは ”彼女”にとって珍しい事だった
特に着飾ることもなく 腰には脇差しか挿しておらず いつも軽装で来る
多少なりとも離れた場所から訪ねてくるのだろう いつも日の落ちる前には ここを出て行く

「そうか」
「待つ?一時間ぐらいで帰ってくるから」
「いいなら そうする」

どうぞと 彼を家へ上げる
他の者にくらべ 彼の相手をするのは 最近の”彼女”の楽しみでもあった
慣れた手つきでお茶をいれ 貰った茶菓子を出す
どういったわけか 彼はやけに詳しかった

「…松葉屋の」
「正解!ホント詳しいよね〜」

彼は口数が少なかった その分”彼女”が話しているようなものだったが
それでも彼は嫌がるそぶりすら見せず ”彼女”の話を聞いていた
周りに民家らしい家もないので 話し相手が欲しかったと”彼女”は彼に告げていた
一時間ほど経った頃 ”彼女”の告げたとおり ”彼女”の兄が帰ってきた

「言ったとおりだな」
「でしょ?結構当たるのよ」

”彼女”には先を見るようなチカラがあった
望む望まないに限らず 断片的に見えるらしい
”彼女”の祖母が「山の巫女」として神託を預かっていた事を ”彼女”は知らない
しかし祖母は”彼女”に常々言い聞かせていた事がある

―見えたことを 易々と口にしてはいけない

それを”彼女”は 祖母が亡くなった今でも守り続けている

「お帰り兄さん お客さんよ」
「…誰だ?」
「おおかみさん」

満面の笑みで”彼女”はそう告げる
兄がゆるやかな動作で家に入り 客人である彼に会う
そうすれば それは既に仕事の域でもある
仕事ともなれば ”彼女”はその場から自然と離れる
首を突っ込まないようにしないとね・と ”彼女”は言っていた



「よくえい!よくえいー!」
『なんだい?』
「あ いたいた」

仕事ともなれば 彼女は手が空く
することがあればいいが なければ暇なのだ

「よくえい 今度はどこ廻ってきたの?」
『吾の言う事にまた耳を傾けるか?』
「だって暇だもの よくえいだって暇でしょ」
『なぜ吾が暇だと言い切れる』

柔らかく笑うと”彼女”は告げた

「暇じゃないと ここに来ないじゃない よくえい」
『吾の言葉に耳を傾ける人間がいるのが珍しくてな』
「あら よくえいだって人の形を取れるでしょ?」
『形は形だ 吾は妖の部類に入る 人ではない』
「でも 楽しいからどっちだっていいわ」

今でも思うが ”彼女”は本当に竹を割ったような性格だと思う
人である”彼女”が見聞きするものには ある程度の限界がある
その知らない部分を 己から聞き出している”彼女”は きっと破天荒に分類されるだろう
海を越えた大陸には 妖から様々な妖の事を聞き書き纏めた者もいると耳にした
”彼女”もその気になれば その者と同じようなことが出来るかもしれない

「よくえい よくえいは妖なんだよね?」
『ああ』
「じゃあ 結構長いこと生きられるの?」
『人に比べれば 長いが』
「どれくらい?百年とか?」
『いや そもそも吾らに”死”という概念はない』
「じゃあ…不死?」
『そうでもない 形を保てなくなれば それは”死”に等しい』
「つまり 重傷を負わなければずっと生きてるの?」
『まぁそういうものだ』

感心したような よくわかっていないような声が漏れている
コロコロと表情がかわって こちらも飽きることがない
人間とは真に興味深きものだと 実感する

「あのね よくえいにお願いがあるんだけど…」

急に”彼女”が改まった雰囲気を纏った
滅多にない事なので 何事かと驚く
儚なそうな そんな顔で”彼女”はこちらを見ていた
縁側に腰掛けているはずなのに ”彼女”はそこにいないのかもしれないと
そう 思わせるほどに


「私が死んだら おおかみさんが死なないように止めて?」


泣きそうな 今にも泣くのではないかと思う程に ”彼女”は顔を歪めていた
決意の表れなのか 力強く 堪えるかのように握り締められた手が震えている
いつもの明るい”彼女”からは 想像すら出来ない

『なぜ?』
「よくえい 私ね 十五で死ぬの」
『見たのか…?』
「うん でね ただ死ぬだけじゃないの」

人間にとっての”死”というものは恐怖でしかない
それなのに”彼女”は それを淡々と告げた
すでに受け止めた後なのかもしれないし 諦めなのかもしれない

ただ ”彼女”は笑っていた

「ちゃんと護れるなら 私であの人を護れるなら それでいいの」
『いいのか?本当に』
「うん だって 私 あの人好きだもん」
『…呆れるぐらいにすんなり言うのだな』
「だって はじめて人を好きになったんだもん いいでしょ?それぐらい」
『邪魔する気は毛頭ない 安心しろ』
「へへ ありがとう よくえい」

そんなやり取りすら 貴重に思え始めた








”彼女”が言ったとおり

     ”彼女”が死んだのは それから三年後の 十五の時だった 







あの時 なぜ”彼女”が「護れる」と言ったのか わからなかった
それ意味が ようやくわかった


 ”彼女”は 彼を 護って 死んだのだ


紅に染まりながらも”彼女”は最後まで”彼女”だった
己が記憶している中で 彼が咆哮をあげたのは それが最初で 最後だった
幾度か 彼に通じる者が死んだとき 彼は悲しみを露にはした
死者を想い 泣きもしたし嗚咽も漏らした


だが 咆哮をあげたのは”彼女”だけだった


亡骸を手放すわけでもなく ただただ 生前にそうしていたように 抱いていた
鮮やかな紅い世界の中 ”彼女”と彼はその存在を際立たせていた
そこがまるで 不可侵な世界であるかのようだった
鮮やかな紅い境界線が 二人を完全にわけてしまった

それから数日が経っても 彼は以前の彼に戻ることはなかった

以前に比べ 表情は乏しくなり 口数も極端に減った
何より 生気が感じられなかった
そんな彼を見て ”彼女”がなぜ己にそう願ったのかが わかった気がした

常人に見えざる己だが 彼には姿が見える
音もなく 彼の近くに舞い降りれば 彼は緩慢な動作でこちらを見やった
見ていて痛々しいほどの姿
ああ だから”彼女”は己にそう願ったのか

「何の用だ」

獣の混じった声が耳に届く
彼の母親とも面識があり いくらか彼のことは聞いている
それでも 耳に届いた声に 思わず顔をしかめた
一歩でも間違えれば 彼は獣になりえると 本能が告げる
小さく嘆息をもらした
こんな大役 己で良かったのだろうか と

『頼まれただけだ』

すっと彼の目が細くなる
狩る側から 吟味されているかのような感覚だ

『彼女から 主が死なぬように とな』

吾が偽りを言わぬ事は 主が良く知っているだろう?
ぴくりと小さく反応がある
葛藤を抱えたままなのか それでも うつろな目に多少の光が灯ったようにも取れた
一種の賭けだった 無論 掛けているのは 己の命

『ただ死ぬだけではない 主を護れるならそれでいいと 彼女は言っていた』
「うるさい…」
『はじめて人を好きになったと』
「うるさい」
『笑っていたぞ 惚れる程にいい顔をしてな』
「うるさい!!」

息が詰まった
気付けば胸倉を掴まれ 倒されていた
眼前には彼の顔があった どうやら馬乗りになっているようだ

『受け止めよ 彼女はそれを願った』
「うそだ」
『偽りはない 吾はただ頼まれた』
「うるさい」
『彼女の言葉を忘れたか?わらし』
「ありが」
『もっと前だな 桜の咲き誇った あの頃だ』

そうだ 興味本位で二人の後をつけたことがある
その時に 彼は全てを背負う覚悟をしていたのだと 思っていた





『私で良かったの?』
『お前だからいい』
『でも 私はそう長く生きられないんだよ?』

先を知った”彼女”はそれを いつもの口調で彼に告げた
”彼女”は軽々しくものを言わない 彼も同じように軽々しく言葉を口にしない
似ていないように思えて 案外この二人は根本的な部分が似通っている

『変わることもあるだろ?』
『たぶん これは変わらない 変えられない』

少し悲しそうに顔を歪めて ”彼女”は彼に言う

『俺はお前に何が出来るかわからない』
『私もあなたに何が出来るかわからない』

互いに 逸らすことのない眼だった
先を知り 尚且つ これからの事など 彼には到底わからない
先を見ることが出来る”彼女”すら 結果を知っているだけであって
その過程がどうなるのか 皆目見当もついていない状態のようだった

『俺に お前がここにいたんだと 刻んでくれ』
『重荷になるわ』

ざわりと風が桜の花を舞わせる
意味のない言葉を 彼は発しなかった

『背負わせてくれ お前が 一人で全て背負おうとしている分まで』
『頼って いいの?  すがっていいの?』
『出来るなら俺は お前を支えたい そうありたい』
『じゃあ 私は あなたが死なないように 護るから』

ようやく緊張が解けたように それまで思いつめていたものが取り除かれたように
彼女は 柔らかく彼に微笑んだ
それにつられる様にして 彼もまた微笑んでいた
あの時 始めて彼の笑った顔を見たと 記憶している
”彼女”が惚れ込んだ 彼の本当の表情だと 思った





『彼女が死ぬ事を主はわかっていたはずだ
 それを それを忘れていたとは言わせぬぞ!!』

しんと 辺りが静まり返った
その静寂がどの位続いたのか わからない
刹那なのか それとも何時間なのかすら

『彼女が どれだけ主の事を想っていたと思う
 己の命を投げ打ってまで 護ろうとした彼女を 主は否定するのか』

ぱたりぱたりと頬を伝って水滴が落ちる
ああ きっと 彼の中では答えが出ていたのだ

「大切だった」
『ああ』
「もっと 生きて 欲しかった」
『ああ』
「もっと 一緒に―」


 生きたかった


目の前にいる彼は 獣ではなくなっていた
獣となりえる程の 牙と爪を持ち それだけの力を持っているのに
彼はまだ人であることを選んだ
”彼女”という存在が 彼を引き止めた

目の前にいるのは 齢十六の ”彼女”の大切な人

『約束とは 重いものだな』

背中をさすりながら 嗚咽を漏らす彼の 生きているという鼓動を感じる
彼にとってこの結末は惨忍でしかない
”彼女”にとってこの結末は 一体どのようなものだったのだろうか
彼はおそらく歩き出せる ただなんとなく そう 思った
立ち止まる事を きっと”彼女”は望んでいない それを彼も考えたはずだ
”彼女”を知っているからこそ 彼はここで立ち止まるわけにはいかないのだろう
そう考えると 酷なものだ



それから数ヵ月後 彼は”彼女”の墓前にいた



『行くのか?』

こくりと彼は頷いた
精神的な傷は恐らく癒えていない
彼の中で 深く静かに その存在を主張し続けるだろう
癒すことを 彼が思わない限り…

「世界を 見ようかと思う」
『そうだな』
「よくえい」
『なんだ?』
「廻らなくていいのか?」

巡ることが己の仕事でもあるが どうも巡る気にはなれなかった
己の上にあたる立場のものが しばらく巡らなくてもいい・と言ったのも理由ではあるが
ただなんとなく 彼の様子が気になったのもある

『気が向いたら…な』
「そうか」

うっすらと彼は笑った
あの笑顔はもう見れないのかもしれない
もう一度笑えるようになったら 彼の傷も癒え始めるのだろう
墓前には 花が添えられてあった
彼の手には 刀があった ”彼女”の兄が打った刀
しかしそれは―

『世界はまだ 混乱しているのだろう?』
「変わらない 俺が前に出て行った時となんら」
『まあ せいぜい死なないようにな』
「ツバサにも よく 言われた」
『そうか さすがだ よくお前の事を熟知している』


”彼女”の
       ”ツバサ”の言葉なら彼は忘れないだろう


「よくえい」
『なんだ?』

二度目のやり取りを交わす

「出来たら 弟と妹の事 頼む」
『おいおい 陰陽寮にいる奴の事を吾に頼むのか?』
「お前は信頼できる」
『そうか ま 上とかけあってみよう』
「半年は 帰らない予定だから」
『わかった』

 また 桜の下で会おうか

そんな他愛もない約束を交わし 彼は旅立った
世界が混乱していると言ったが この国も充分に混乱していたと思う
彼は恐らく その混乱が収まるのを待っていたのかもしれない
あの兄弟達からよく許可が下りたものだ
そう考えながら 柄にもなく 彼の後ろ姿を見えなくなるまで見送った

彼はこの国を離れる
あの歳にして彼が背負うものは 大きく 重い
彼が望む望まないにしろ ”アレ”は彼を選んだ・という結果を一応は聞いていた
宿命や運命といったものは あまり信じていなかった
「あいつ等」といると それすら希薄に感じさせる部分が多々あったから
随分と 彼を心配していた「あいつ等」は― 彼が旅に出ると知って どう思ったのだろうか
それを見送るのは 本当に己で良かったのかどうか まだよくわからない

『さて タケル殿にでもかけあってみるか』

約束は果たさねばなるまい と


『なあ?ツバサ』


聞こえるはずもないか と自嘲する

彼の傍らで 静かに見守っていた”彼女”へ 問いかけてみた






01.私で良かったのか




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背景の元絵
左:よくえい/右:つばさ