嫌気がさすが 当たれない


卓上には座っている者すら隠れるほどの紙と巻物の山
それらに囲まれて一人の男が 紙面に目を通し印を押すという作業を繰り返している
時折かけられる声に 曖昧に返事をして 出来上がった物を持っていってもらう
慣れたといえば慣れた作業ではあると 彼は思っている
本格的にこの任に就いたのはいつだったか とあまり余地のない頭で考える
ああ 確か二年前だったかな と結論を出すまでに五枚の書類が出来上がっていた
時間を追うごとに減りつつある 眼前の山を見つつ微かな希望を抱く

(今日は定時に帰れるかもしれない)

そんな僅かな 本当に僅かな希望を抱いた矢先に声をかけられる
聞きなれた声の中でも特に 身近な声である

「考謙(こうけん) どうした」

一言声をかけたのは入室の許可を得るためである
その後考謙と呼ばれた青年は 初めに比べれば空間の開けた卓上に新たな山を形成させた
思わず順調にいっていたが 止まった

「追加です 兄上」
「お前 ちょ 無情だ…」
「仕方ないでしょう?仕事ほったらかして市へ出かけたのは兄上なんですから」
「けちー こーけんのけちー」
「拘束しますよ 兄上」
「ごめんなさい 即座にかからせて頂きます」


仕事はいくらやっても片付かないものだった
生前の父はこれほどまでに仕事をしていたかも よく把握出来ていないが
あの頃よりは 確実に増えているだろうと頼成(よりしげ)は実感していた
文字と数字の羅列に嫌気がさしながらも 着々とこなしていく
考謙が部屋を去ってから 数時間がたった後 再び声がかけられた
卓上の山は すでに残り僅かとなっていた

「出来ました?」
「やってやったよ…俺ぁーやったぜ?」

よく出来ました と考謙が言って大まかに目を通していく
気晴らしに開け放った窓から 風が舞い込む
空は夕焼けによって赤く染まりつつある もうそんな時間かとぼんやりとしながら眺めた


赤が、より紅く染まりつつある空

それと同時に脳裏によみがえるのは あの艶やかな紅い色

忘れもしないあの紅い色と むせ返るような 独特のにおい


「考謙」
「なんです?兄上」
「あいつは 今どこにいるんだろうな」

頼成から見て二番目の弟は 現在ここにはいない
一番上の妹も ここにはいないが一応国内にはいる 嫁にいったのだ 彼女は
しかし二番目の弟は 二年前のあの日から あまり帰ってこなくなった
三年前に旅に出て 丸々一年程でようやく帰ってきた彼
そして 半年程を過ごした後 また旅立った
それ以来 不定期には帰ってきているが 片手で数えるほどしか彼は帰ってきていない 

「便りがないのは元気な証拠 と言いますが」

陰陽寮の誰かに尋ねれば居場所は掴めるのだろうが
彼は依然として不定期にしか 手紙を寄越してはこない

「まー手紙が来れば帰ってくる証拠だけどな」

帰ってくる時ぐらいしか 彼は手紙を出さなかった
筆不精なのか 無頓着なのか 二人に判断はしようにも出来なかった
二人に対して十以上も歳の離れた妹には 一月に一度ほどの割合で手紙が届くらしいが
彼らもその辺りを考慮しているので むやみに口出しはしない
母は違えど 父は同じ兄弟達なのだ
昔はその兄弟達ですら血で血を洗うような時代があったらしいが 幸いなことに今はそんな時代ではない

「懐かしいよなぁ」
「何がです?」

視線はあくまでも窓の外に向けている頼成が呟く
突然尋ねられた考謙は意味がわからず 問い返す

「あいつが 後見人になるって言った時の」

言われてようやくわかった
同時に思い出す 彼は…意外と頑固なのだと
自然と笑みがこぼれた
それは頼成も同じだったようで
多少疲れを感じさせる雰囲気だが それでも懐かしさに笑みをこぼしていた

「あん時は俺 すげぇなって思ったよ」
「何に」

歳が近いせいか いくらか言葉がなくとも大まかな意味はわかるが あえて考謙は問う
頼成はいつの間にか考謙の口調が 公用から私用になっているのも あえて気にしない

「あいつが後見人になるって言った瞬間 嫌な雰囲気が一気に止まったんだ」
「兄上も感じたんだ」
「お前もか」

考謙が頷く
あの時の事は 今でも覚えている
周りに有無を言わせぬ 強い意志の篭った言葉を 彼は言い放った
結果として彼は宣言したとおりに後見人となった
元服前だったので 一応父親がそれを認証・保障するという形をとったが
色々と周りに助けられつつ 彼は見事にその任をこなしていると思う
無論 頼成と考謙も求められる範囲での手助けをした
過度の手助けは 彼にとって重荷となりうる事を重々承知していたから

「俺が全員引き取るって 言ったよな」
「誰もが無理だって口にしてたのにね」





睨みつける様に 威嚇するように彼は言ったと記憶している
あの場では 誰もが口だけ開いて何も考えていなかったのを頼成はよくわかっていた
父の補佐をするようになってから 人が何を考えて話しているのかが 徐々にわかりつつあった
そんな矢先での あの会議だった
皆口先だけで 話が先に進まず 頼成自身呆れ果て怒りさえも彷彿とすらしていた
母を失った 腹違いの妹達と彼ら兄弟がどうなるかという事を
それを話し合っている筈なのに だ
誰もがその利点を話し 同時に生まれる欠点を話し 進まなかった
頼成も考謙もその場にいたし 考謙の妹も同席していた
その三名が 静かに怒りに震えていた事に 恐らくあの場で引っ切り無しに話していた者達は気付いていない
もう抑えきれなくなって爆発しそうな時に 彼は口を開いた

『俺が全員引き取る』 と

一気に広まった静寂を従えて 彼は続けた

『あんた達に任せられない』

数拍程の間が空いた後 妬み嫉み嘲り罵り 全てが襲い掛かった
そんな中なのに彼は平然としていた
ただ 睨みつける様に 威嚇する様に彼の目には強い光が宿っていた
そして― 叫ぶかのように言い放った

『人をモノ扱いするような貴様らに何が出来る!!』

瞬間 空気が凍りついたかのような錯覚を感じたのを頼成は覚えている
後にも先にも 彼が感情をあれほどまでに露にし 声を張り上げたのは二回程しかないはずだ
彼がそう言い放ったのを最後に あれほどまで口を開いていた者達は何も言わなくなった
まるで怖気付いたように






「改めてこいつが俺の弟かーって すげぇって思いながらさ 嬉しかった」
「なかなか 周りにいなかったよねぇ」
「母上は毛嫌いしてるけど 俺はあいつの事好きだ」
「私もですよ 彼の兄だということ 損得抜きで誇りに思う」
「俺もだ あいつは きっとこの国だけでおさまるような器じゃねーんだ だから俺はあいつを支えたい」

兄弟間でも多少歳が離れているせいか 遠慮されがちなのを頼成は思い出した
隣の考謙を見ると 同じ事を思っているらしい


今度帰ってきたら 思いっきり 甘えてやろう 我侭いってやろう
それこそ あいつが苦笑するまで
そうじゃないと 何か勿体無い気がした
だって 兄なのだから 弟には頼りにされたいし甘えられたい

「今度はいつごろ帰ってくるかな?」
「そろそろ…元服の時期だし それに合わせてかえってくるんじゃない?」
「そーだな じゃあ一ヶ月 ここに押し込めようぜ」
「そうだね」

これはささやかな計画なのだ と互いに笑った
きっとそれまで日常に溢れていた雰囲気も 彼が色々な意味で変えてくれるかもしれない
そう 思いながら





04.この雰囲気を止める者






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背景の元絵
左:頼成/右:考謙