五男三女の八人兄弟といえば 大人数に入ると思う
でも 一人の父親に対して 母親は五人
こういうのを一夫多妻制というらしい 最近知った言葉だ
一番上は兄で今年二十五になる
対して自分は一番下で今年でようやく十
役職につくのは大体が元服前後になるので 自分にはまだ”仕事”というものがない
上から四番目までの兄や姉たちは 責任ある箇所へと配属されているし
五番目の兄は去年か二年前あたりから 職へ就いたと聞いた
自分の上にいる姉達は まだ仕事ではなく 自分と同じ”勉強”を主としているみたいで
「高倉 高倉!」
四番目の兄から貰った本へ耽っていると呼ばれる
ここ数年 父が亡くなった頃から母はどこかおかしいのではないかと 思うような節がある
父が亡くなるまでは まだ そんな節はなかったように思える
時折 気がふれたように叫んだり 必要以上に僕を探すときもある
「母上 いかがし」
「一の姫がおいでじゃ」
「姉上様が?」
至極嬉しそうな表情を浮かべ うっとりとしつつ場所を伝えると奥の部屋へと母は消えた
あまり権力とかそういうのに まだ意味がよくわからなくて興味がないが
母はそういうのをとても重んじているような気がする
一番上の兄が尋ねてくるときは特に
僕自身がそうなりたいと思うのは 四番目の兄だった
過去に一度 母へ伝えたことがある
すると 途端に烈火の如く怒り狂って手がつけられなくなった
―あのような者に近づいてはならぬ
―下賤の輩に何が出来ようか
―獣の子に近づけば お前は食い殺されてしまう
母の口から出る禍言が恐ろしくて 母のあの変わりようが拍車をかけて動くことすら出来なかった
叫び声と激しい物音に気付いたのは たまたま通りかかった二番目の兄と三番目の姉
あの時はよく覚えていないが 痣だらけになっていたのは覚えている
あれ以来 僕は母の前では四番目の兄と五番目の兄の言を口にしていない
母が言うほど あの兄達は悪くないし むしろ尊敬できる人たちだと 僕は思っている
「姉上様 高倉です」
母に伝えられた場所へと行き 声をかける
庭にある 茶室といっても過言ではない小屋
こじんまりとしているが意外と頑丈に作られているのを 姉自身から聞いたのは最近だ
「入んなさいな 開いてるよ」
姉は三年前に嫁に出た
ここへこうして帰ってくるのも 半年に一度ぐらいのもので 後はごく稀にという場合だ
中の囲炉裏には火が入れられ ほんのりと暖かいが 障子を全て開け放ってある
春になろうかというのに 少々肌寒いが 囲炉裏に近づくにつれて暖かさが増す
庭を眺めている姉が こちらを向いた
最後に会った時に比べて また日に焼けたんだなぁと 思った
「いらっしゃい 高倉」
「お邪魔します 仁和(にんな)姉上」
基本的に兄弟間では 気遣わないようにしようという暗黙の了解がある
公的な場以外では口調は皆砕けたものになる
傍らに置かれていた急須から茶を入れて 差し出される
今日の茶請けは姉の土産だろうか この辺では見ない菓子折りだった
つい 視線がそちらへ向かってしまう
「やっぱ気になる?」
「うん」
素直に頷くと 姉はにやりと笑って菓子折りの蓋を開けた
「じゃーん!今日は南のお菓子!」
「なになに?かすてら?」
「そうそうカステラ」
高倉は素直に喜ぶからいい と姉が二三切れを盛って出す
お茶のいい香りと カステラの甘い香りが混ざって食欲をそそられる
「ジンを呼んだときはバッテラ出してみた」
「え」
先に五番目の兄である壬(ジン)兄さんが来たことにも驚き バッテラを出した姉にも驚いた
「バッテラは好きって言って食べてくれたのよね〜 うん いい子」
「壬兄さんは?もう帰ったの?」
「高倉は壬に会いたいの?」
「うん」
半狂乱になって叫ぶ母のあの一件以来 僕は兄に声をかけにくくなった
もし兄と話しているのを誰かが見て それが巡り巡って母の元へいってしまうかと思うと
怖くなってかけられなくなっていた
たまに ほんとたまにしか話せなくなっていた
それも公の場ぐらいでしか その機会がなかった
手をいくら伸ばしても 届くことがない 空をきるばかりなのかもしれない
そう思うと ちょっと寂しくて悲しくなってきてしまった
「だってさ」
姉が庭先へと声を投げる
「だから俺を押しやったのか 姉上っ」
少し怒ったような声がして姿を現したのは 壬兄さん
片手には先ほど話しに出てきたバッテラの盛られた皿がある
あ お茶までこぼれない様に一緒に持ってる 器用だなぁ兄さん
「ほらー高倉の本音が聞けたからいいじゃない」
「俺がいつ高倉を疑ったんだ」
「あら?ここんとこ話してないから嫌われたかなーってしょんぼりしてたのはアンタでしょ?」
「ぼ 僕は壬兄さんの事嫌いにならない!!」
思わず着物の裾を掴む
なんでそんな事をしたのか 自分でもよくわからないけど
ちょっと驚いた兄さんと目が合った
「そうか」
短く言われた後でポンポンと撫でられた
それが すごく久しぶりに感じて またしてくれた事にすごく嬉しかった
「あたしもするー!」
「なっ」
「わぁ!」
仁和姉さんが隙ありとばかりに抱きしめてきた
いきなりだったから 驚いたけど嫌じゃなかった
抱きしめられるのも 久しぶりだなって思った
「姉上っ」
「いーじゃない!たまには兄弟水入らず!」
「なんか意味違うっ」
その後 三人でたくさん話した
壬兄さんも 二ヶ月ぐらいこの国を離れていて この間帰ってきたばかりだったから
姉や兄から聞く 異国のことはとても楽しくて
いつの間にかあっという間に時間が過ぎていった
「そうそう 兄さん達が言ってたわよ」
「なにって」
「今度 一ヶ月計画をたてるから実行する際には協力しなさい って」
「一ヶ月計画って…なに?」
「ふふふふふ〜 ひーみつー!」
きゃは☆とか姉さんははしゃいでた
姉さんや兄さん達は その「一ヶ月計画」がすごくすごく楽しみらしい
よくわからないけど きっと何か楽しい事なんだろうと 思うことにしとこう
兄さん達が言ってたんなら 兄弟間だけの事なのかも知れない
そういえば四番目の兄さんは いつ帰ってくるんだろう 会いたいな
「じゃあ 俺先に行く」
「あら お仕事?」
「いや…約束」
それに目を光らせた姉の行動は素早かった
「新しく入ってきた子と?」
「………なんで姉上が知ってる」
「うふふふふ 任せなさい!」
「いや 大丈夫だから 普通に町案内するだけだから」
姉さん曰く 壬兄さんも四番目の兄さんも色恋沙汰には疎いらしい
鈍い 鈍すぎる あいつらは兄弟揃って鈍ちんなんだから!!とこの前呟いてた気もする
あ なんだか壬兄さんが押され気味になってる
でも姉さんには僕も敵わないから 無理 ごめんね兄さん…
「さーいってらっしゃい!弟よ!!」
随分とげんなりして壬兄さんが帰っていった
ちょっと 気の毒な気がする
「遠慮することないのにねぇ」
「なにが?」
「ん?高倉には まだちょーぉっと早いかも」
「そうなの?」
「そうなの」
また呼んだら来てねと 姉と別れた
当てもなくうろうろと歩き回っていると 池のほとりに着いた
松の大きな木が 池にその姿を映していて そこだけ 切り取られたように静かだった
まだ帰りたくなかったから 松の根元に腰を下ろして木を見上げる
思わず持ってきてしまった本を 懐から取り出してパラパラとめくる
ふと 頁の端っこに何か書いてあるのに気付いた
たまたま見つけた その一頁
文が少なくて 何も書いてない箇所が多いその頁に
『壬−三年後 伊勢・和泉−五年後 高倉−八年後』と書いてあった
何だろうと首をかしげる
字からして おそらくこの本を持っていた四番目の兄が書いたのだろう
いつ書いたのか 何の数字なのか さっぱりわからない
今からだとすれば 壬兄さんは三年後は十九になっているし
伊勢姉さん和泉姉さんも五年後は十八 僕も十八になっている
でも最後に兄が帰ってきたのは 正月で この本をもらったのは 去年の事だし
考えてもよくわからないので また頁をめくる
さっきの事もあったので 今度は割りと慎重に捲っていった
何も書いてないのかなと思っていたら 結構見落としがちな最後のページに書いてあった
『高倉に兄と呼ばれた 弟が増えた』
この本が発行された年月日の傍らに書いてあった
発行された年は 僕が生まれる前だったから 年数は関係ないんだろうと思う
きっと僕はこの日に 兄に会って そう呼んだのだろう
それを何となしに兄は書きとめたのかもしれない
でも 『弟が増えた』と 兄にとって僕はちゃんと弟なんだって思われていた事が 嬉しかった
そう思ったら 文字が滲んで見えていた
『いつでも手を伸ばせばいい 俺はその手を振り払いはしないから』
思い出してくるのは兄の声
歳が離れて 遠慮がちだった僕の手をしっかりと握ってくれたのはあの兄だった
会いたくなって 会いたくなって どうしようもなくて
僕はただ 声を殺して 本を抱きかかえて 泣いていた
06.何時もこの手は空をきるばかりだ
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