眩しくて目を開けた
視界に入ってきたのは 森だった
木が生い茂って 絶妙に日の光を遮る
心地良い 木漏れ日
そして自身は川に半身を埋もれさせたまま、うつ伏せ状態

―生きてる?

身体に力を入れようにも 動かなかった
腹が 焼けるように痛い
それもそうだ
自身は戦をしていたのだ
敵方の 将と一緒に 揉み合って海に落ちた
その前に 腹へ一突きされてたのを思い出す 
あれだけの傷を負っているにも関わらず生きていた

―そう長くはもたない 

感覚的に そう悟った
まどろみに流されつつ 眼を閉じようとした
ここは居心地がいい
そう思って 半ば閉じかけた時だった

 ざ り

砂をかむ音が耳に届いた
敵兵か と反射的に意識が覚醒する
今まで生きてきた半分以上を 戦場で過ごしてきた
その中で培ってきたものは 死の間際ですら安息を許さない
上体を起こしかけて 激痛が走った
一瞬 視界にその主を捕らえて 身体を折った
鉄錆びに似た味が味覚を 嗅覚を支配する

「起きるな」

いつの間にか 距離を詰めたその主が片膝をついて言う
声だけでは性別を判断できなかった
呼吸が 荒い
うつ伏せから ようやく仰向けになったとき 声の主の姿が見えた
日に透けた茶色の髪が 風にゆれていた

「だ…れだ」

かすれた声が ようやく出た
主は目を細めてこちらを見ている
なんともいえない 表情で何を考えているのかよめない
武装はしていなかった
濃藍の着物に 薄墨色の袴を穿いている以外 刀などは目に付かなかった
敵兵ではないのか
ふいに 主の手が伸びて頬に触れる
些か低めのそのぬくもりが 心地良かった

「差那岐(さなき)か?」
「なぜ…し…ッ」
「動くな 死期が早まる」

は あ と息を吐く
口の端からつ と血が滴った
恐らく河原の この白い砂場は己の血で赤く染まっているのだろう
静かだった
風が木々を揺らし 静々と日の光が振ってくる
この国にも こんな場所があったのかと 死の際なのにそう思う

「差那岐 南の闘狗と呼ばれる者よ」
「…な んで」
「世の流れは一応把握はしている この国を統一しようとしただろう?」

眼差しが幾らか柔らかなものになったのを感じた

「こ…こ は?」

ひゅーひゅーと喉が鳴る
こんなにも死に掛けているのに 目の前の主は何も手当てをしない
手当てをしても助かる見込みが無いのか
それとも 死に際を見に来ただけかなのか わからない
ただ静かに 撫ぜていた

「わたしはお前を見殺しにしようと思う」

問いの答えになっていない
その上 先ほどと変わらない口調でそう伝えられる
見殺しにする と
その意図はわからないが 主は本気のようだった
閉じられない口からは 相変わらず細い息が漏れる
若葉色の甲冑は 紅く染まっている
身体は鉛のように重く 意識だけで実際には動かない

「ころ す…か?」
「助けようと思えば、助けられる
 だが、わたしはお前を見殺しにする」
「そう… か」

ようやく出来た身じろぎで ちゃりと音がした
いつの間にか腰には愛用の太刀があった
海に落ちた時には手にしていた筈だ
その後 無意識に鞘へ収めたのだろうか
海水に浸ったのなら 既に錆び始めているのかもしれない

「なら ひ とつ…頼まれて く…れ」

死ぬのに間違いないなら 託すのもいいだろう

「と…届けて くれ」

この国が統一された時に 己の意志を継いだものに
ほとんど動かない腕を 無理やりに動かす
太刀に添えるのが精々で 抜くことは出来なかった
それでも 主は汲み取ってくれたのか 太刀を見た

「わかった」

そう短く言って 太刀に添えた己の手に その手を重ねた

「武人の手だな 差那岐」

主が うっすらと笑みを浮かべて言う
それに 惹かれた
妻も居て 子も産まれ 孫も産まれたというのに
目の前の主に惹かれた
見殺しにすると言われたその主に
こちらが呆気に取られるほどの口調で

「たの… む」

視界が霞んできた
何となくわかる 嗚呼そろそろ終わりか と
手足の感覚が遠いものになって
あれほど主張していた 腹の傷すら痛みが引いていく
ただ 静かで穏やかだった

「な あ」
「ん」
「あん たの…名は?」
「わたしか?わたしは―」



ざわめく木々が 日の光を遮った



「恨むか?」

眼前に広がる大海を見ていた
潮風が 自身を撫ぜるように吹き抜ける

「誰を?」

声の方に向けば あの時見た格好の主がいた
濃藍の着物に 薄墨色の袴
黒に近い茶色の髪を 一括りにして風に流している
その眼は 眼前に広がる海のようなイロだった

「俺を」

見殺しにされた
自身は確かに死んだ
死んだ後に またこうして ここに立っている
あの時と同じ 若葉の甲冑を身に着けて
紺碧の額当てを巻いて 風に吹かれるままに揺らせて
ただ違うのは年ぐらいだった
死んだのは確か五十半ばだったのに 今は最盛期だった頃だ
二十後半ぐらいか と何度となく確認した

「見殺しにしたのは許さんが 恨まぬよ」

にっと笑った
目の前の主が 少し すまなさそうな面持ちになる
生きていれば国が統一されたという場に居られた
四つの国が一つになる という己の念願が叶った場に居られた
だが それは主に見殺しにされたから叶わなかった
風の便りで 統一されたという事は知った
主からも聞いた

だから 許しはしないが恨みもせずに ここにいる

海が広がっている
その 海が 好きだった
だから 死んだ後でもこうして眺められているなら それもよかった

「太刀は 届けてくれたのか?」
「ああ お前の孫だという奴に届けた」
「…そう か アイツが」

約束が 違う意味で叶った事を知った
なんともいえない
本当は己の手で やるはずだったのに

「似ていた」

自身の隣に来て 腰を下ろして眼前の海を眺めながら主は言う

「俺が 昔世話になった御仁に お前の孫は似ていた」

遠くを見る眼で懐かしいのか 少し目元が柔らかかった
外見は二十代だというのに 言動や思考はそれ以上に思えてならない
何より 身のこなしに隙が無かった
自身より頭一つ分小さく 細い体躯だった
中性的な顔に 纏っているのは物静かな雰囲気だった
なにより―

「主 おれは主の元へ降りたい」

すこし間を開けて 主がうっすらと笑みを浮かべた
何度見ても 惹かれる

「そうか ありがとう差那岐」
「それで だ 主」

一つ頼みがある
そう言うと主は小さく小首を傾げた
だが 拒否も否定もされない
むしろ 先を促された
どんな頼みか と

「名を くれないか?」
「俺の名か?」
「いや 確かにおれは差那岐だ だが差那岐は死んだんだ
 だから 名をつけてくれないか?」

生前とは違う けじめをつけたかった
差那岐という名を知っているのは主だけでよかった
人の世は移り変わる
移り変わるから 差那岐という人を知っている者はやがていなくなる
それでいい
己が生前交際していた人々が 想っていてくれればそれでいい
意志を継ごうとしてくれた人々がいる
それだけで充分だった

だから 訣別するのだ "差那岐"と―

「差那岐は嫌か?」
「俺は今まで俺のために生きてきた
 でも今度は違う 主のために 俺は生きる
 だから 主から名を頂きたい」
「差那岐…」
「許さないけど 恨まない だから 名をくれ」

交換条件のように言えば 主は軽く眉を寄せた
この調子なら 主は名をくれそうだ

「そうすぐにはつけられんぞ 名は」
「ああ 後でもいい」
「わかった」

そう言って主は腰を上げる
名は頂けそうだ
知らぬと一蹴されたらどうしようかと思ったが杞憂だったようだ
踵を返して歩み始める主の後を 追う
死んだ後に会った者は 今のところ主だけだった
他の者はと尋ねれば 今は所用でしばらく帰ってこないとの事だった
不意に主が歩みを止めた
そして思い出したように こちらを振り返る

「俺の元に降るお前にやろう」
「…これを?」

懐から出されたのは深緋の組紐だった
しっかりと編まれているのか 丈夫そうだった
長さは―長かった
見かねたのか 主が慣れた手つきで紐を己の身体に回した
まるでたすき掛けのように
右肩から左の脇へ 背で捻って 左肩から右の脇へ
そして正面へ回すと 丁度胸の位置で結んだ
結び終えた紐は 垂れる事無く かといって邪魔にならない程度に浮いた

「二人目だな これをしたのは」
「そう…か?」
「ああ 一人目はすぐわかる これとは対象の色だから」

対象の色なら天色か青ぐらいだろう
そう思っていると 見上げ主と眼がかち合った
深緋の色は あの時流した己の血のような色だった
何を思って主はこれを俺にしたのだろうか
何を思って主はアカを俺にまいたのだろうか

「差那岐は水だからな」

考えが読まれたかのように 主の口から言葉が出た
水だから
水だから一旦流れ始めると 全てを飲み込み押し流してしまうから
その一線を越えないための堤防だ と

「俺は 水なのか?」
「うん」

…「うん」は反則だ
そんな考えを他所に 主は再び歩み始めた
それに気付いて 追う
今しがた気付いた事がある
主の額に 前髪に隠れるように 薄っすらと一文字に刀傷があった
自身と同じぐらい 主も戦場に立っているのではと過ぎった

「差那岐」
「はい」
「名が決まった」

くるりと振り返って 唐突に申し出された
その表情は どこか晴れやかだった
着飾って その表情で街を歩けば誰もが振り返るだろうに
中性的な顔立ちには似合わない―

右目の下から頬にかけての縦一文字の刀傷

潮風が 一本道を吹きぬけた
慣れ親しんだ匂いが 駆け抜ける

「南の闘狗だから」
「そこにこだわらなくてもいいんだが…」
「だが、名は大切だ 
 生前のように驕る事無くその武を発揮してもらわないと困る」

多少不満げに眉を寄せ 静かに主は言う
生前は驕り高ぶる間もないぐらい 駆け抜けていた気がする
脇目を振る間もなく ただただ己の望みに向けて駆けた

「今からお前は―」






「おい!キオウ!」
「…へ?」

引き戻された
見渡せば そこは見慣れた場所だった
八畳の部屋に積み上げられた本が所々にある

「…ジン か」
「寝ぼけるなよ これから仕事だぞ?」
「あー あ そうか そうだ…うん」
「なに自己完結してるんだ?」
「ちょっと昔の夢見てた」

普段着ではない 仕事着のジンが己の前に座っていた
腰には小太刀がある
剣術の基礎は彼の兄が徹底的に叩き込んだから大丈夫だ
実戦で使えるかどうかはわからない
だが 己がいくらか鍛えたから多少は使えるだろう

「いくぞ キオウ」
「おう」


進んだ先には アカ色の"一人目"もいた



07.許しはしないけど、恨みもせずに

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背景元絵↓
左上:水覇/左下:ジン/右:キオウ