『仮想電子空間世界』 通称:デンノー

十数年前、一人のマッドサイエンティストが開発実行したヴァーチャル世界である。
始めは誰もが胡乱げに事の成り行きを見ていた。
しかし、その確立した世界と利便性を目の当たりにすると手のひらを返したように彼をたたえ始めた。
やがて『デンノー』の運営・管理は政府へと委ねられるようになった。

では、そのマッドサイエンティストは何処へ行ったか。

膨大な金を湯水のように使い、豪遊しているのか。
海外へ渡り、新たな開発へと移ったか。
極秘に政府が他国へ移住しないように、また『デンノー』の更なる拡大と確立をさせているのか。

全ての可能性は否である。

彼は死んだ。
『デンノー』が世間一般に普及し始め、他国へもその利便性が認められるや、である。
運営で共に居た者達の証言からである。
彼は狂っている。
それが『デンノー』を生み出す前の彼に対する世論である。
『デンノー』が普及するに比例するように、彼は独り言が増えていったそうだ。

その全ては聞き取る事が出来ない言語だった。

科学者達はそう口を揃える。
時折、聞き取る事ができ、尚且つ理解できるものがあった。
耳にする単語は、偏っていた。

「混沌」
「そちらに行く」
「迎える」
「侵食」

しかし、科学者達は気に留めなかった。
彼の独り言は今に始まった事ではなかったからだ。
そうして、『デンノー』が政府公認のヴァーチャル世界となった。
一般へと開放したのは「Sakyou・Ukyou」と分けられ、政府が使う為の中枢は「Dair」iと名づけられた。
本格的な運営作業の最中、ソレは起こった。

バグを潰す作業をしている最中だった。
突然、その男の前には今までに見たこともない羅列が展開されていた。
男は自分の手におえない事が分かった。
分かったから、開発者であるあのマッドサイエンティストを呼んだ。
その画面を見るや否や、マッドサイエンティストは今までに見せた事の無い笑みを浮かべた。

例えるならば、壊れた笑み。

そして言った。

「ようやく開いた!ようやく開いた!!
 長かった月日が霞むほどのものをようやく得た!!
 望んだ世界へ行ける!私はこの俗世からようやく開放されるのだ!!
 全ての闇に溶けることが出来るのだ!」

高らかに笑いながら彼はそう叫びにも近い嬉々の声を上げた。
科学者達は目の前の現実が理解し得なかった。
何故、この男にはこの羅列が理解できるのか。
科学者達は理解できなかった。

世界中で使われている全ての言語が複雑怪奇に羅列しているこの画面を。

「私は闇になるのだ!ようやく迎えがきた!ようやく一員となれる!
 デンノーなの足がかりにしか過ぎぬ!!私が混沌の一部となる為の!!」

ほぼバックミュージックとなりつつある、その男の叫び。
科学者達は誰も動けはしなかった。
かろうじて呼吸が出来るだけだった。
指一本すら、滴り落ちてくる汗すら拭う事が出来なかった。

部屋にはいつの間にか、濃密ともいえる"何か"が充満していた。

例えるならば、"死神"
例えるならば、"闇"
例えるならば…"異質"

男だけが、狂ったように叫び、歓喜に震えていた。
両手を掲げ、まるで神に祈るあのような姿であった。

「さあ!連れて行け!私が行く事は無利益ではない筈だ!」

瞬間。
何かが画面から出てきた・と科学者たちは思った。
そして、男は崩れるように倒れた。

科学者達はようやく"何か"から開放された。


結果、男は死んでいた。


国葬が行われた。
『デンノー』を開発・運営を行った功績を称えて、との事だった。
男の死に際に居た科学者達は全員が辞任を出した。
あの場所に居たくない・それが理由だった。

そして、その男の死から数年間で、その科学者達は全て死んだ。



十数年後、世界が利用するまでに拡張した『デンノー』に、ある論文が発表された。
それは拡張しすぎた『デンノー』に対する警告だった。
政府は、世界はそれを黙殺した。
しかし、その論文に触発されるように幾人かの学者は調べ始めた。
そうして、ある学者グループが発表した論文がある。

「仮想電子空間世界−デンノー−が及ぼす現実への影響について」

目を瞑るにしては尊大な、受け入れるには躊躇う事実を発表した。
しかし、政府は、世界は、同じ様に黙殺した。
この拡張した『デンノー』を閉鎖するにはその被害が大きすぎた。
もはや世界はこの『デンノー』無しでは成り立たないほどに依存しきっていた。
一度は黙殺された論文だが、それでもいくらかの危機を民衆に植え付ける事は出来た。
特にその論文を指示している者も少なくはない。

リスクを承知の上で、『デンノー』は今日に至るまでその存在を世界に知らしめている。







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