学年棟から出て大都が向かったのは、手入れの行き届いた庭と噴水があるという、なんとも学校らしくない場所だった。
所々にベンチが見えるところから休憩場兼"中庭"という事なのだろうか。
そこへ、景観を損なわぬように、目当てである"校内見取図"が建っている。
広大な敷地の全てが其処に書き記してあるのだ。
新入生がまず覚えるのは自分の教室の位置と、授業で使う特別教室の位置である。
そしてその後、必要な箇所を徐々に覚えて行く・という流れになっている。
入学からほぼ一ヶ月程で、まさか学長室へ行くことになろうとは、戌塚も江山も予測していなかった現実である。

「ほら、ここ」
「……何処だ?ここ」

大都が学長室を探して指すが、戌塚にはその場所がどこか検討がつかない。
江山も同じらしく、小首をかしげている。

「ここが今居る"中庭"」
「で、あそこに見る校舎の三階だな、学長室」

井川と犬飼が地図と実際の建物を指しながら説明する。
それでようやくわかってきたのか、戌塚と江山が理解を示してきた。
しかし…大都・井川・犬飼は不安が完全に拭えたわけではない。
昼休憩も半分を過ぎたぐらいだろうか、それでも校内には、特に廊下には人が多い。
其処を戌塚が無事に切り抜けられるか。
江山がちゃんと戌塚と一緒に行けるか。
戌塚はどちらかと言えば、同学年の女子に比べてやや高めではある。
しかし、江山は多少なりとも小さめなのだ。人ごみに飲まれてはぐれてしまえば…無事に合流できるかどうか。
ケータイがあるから大丈夫とも思うが、人酔いになった状態である戌塚が果たして気付くかどうか・が不安である。
やはりここは―最後まで一緒に行った方がいいのか・と三人は同時に思う。

「…やっぱ最後まで行くわ」
「俺も」
「うん、心配だ」
「え…あ、ご、ごめんなさい」
「……すまない」

戌塚と江山は素直に三人の好意―というか心配―を受け取っておく事にした。
犬飼の見解で、学長室までは五分もあればつく距離らしい。
時計は今、十二時二十分を指す前だった。ケータイで見れば12:18と表示されている。
のんびり行っても五分前にはつくだろう・犬飼が言い、学長室へ向かおうとした。

「新?」
世間は狭い…
不意にかけられた声に、江山が弾かれたように振りかえる。
他の面々も多少驚いたように、声のした方向―後ろ―を向く。
背の高い、しっかりとした体躯の男子生徒が、立っていた。額に巻いているタオルに、つい視線がいってしまうが。
運動部にでもいれば、レギュラーになれそうな…という印象もある。

「ご…悟麒くん…?」
「あれ?乾、知り合い?」

その男子生徒の後ろから、ひょっこりと顔を出した人が目に入る。
どうやら完全に影に隠れてしまっていたらしい。
ぱっと見た時は女子にも見えたが、制服は男子の者だった。
麗人でも通じるな、と戌塚はこっそりと思ったが、江山の知り合いであろう、男子生徒はまだ多少驚いてはいる。
普通科か、特進科の生徒なのだろう。多分、普通科ではないか?
特進科の生徒は、それ相応の雰囲気というものをまとっているように見て取れたからだ。
温和な表情で、悟麒と、乾と呼ばれた生徒の後ろから出て来た彼は一同を見た。

「ああ……親戚、だったかな?」
「えっと…確かそうだった気がする」
「随分と曖昧な」

彼が苦笑しつつも返す。

「あまり意識してないから、その辺は。従妹か親戚か、その辺だろ」
「うん、多分…そうだと思う」
「仲がよかったんだろ?それぐらい」
「うん」

戌塚がそう尋ねれば、江山は迷い無く頷き肯定する。
仲がいいから、そういう細かいところを気にしていないのだろう。
ふと、目が合った。

「……戌塚志乃弥?」

記憶を探るように、確かめるような曖昧な声だが、しっかりとフルネームで呼ばれた。
その事に対して、驚く。他の面々もそれは同じであり、言葉が出せていない。

「志乃弥、悟麒くんと知り合い?」
「いや、初対面」
「…大都蓮璃もいるのか」
「……えっと、私何かしたっけ?」

戌塚に次いで、大都までもが呼ばれた。
二人して頭をひねるが、何をしたか全く思い出せない。
混乱の極みに達しようか・という辺に居るのが―井川と犬飼だが。

「江山、誰?」

もっともな疑問を井川が投げかけて、ようやく我に返る。
そういえば、紹介も何もしていないのに話が勝手に進んでいたのだ。
名前もわからない状態で、そうそうに話は進まない。
その上、悟麒と呼ばれた彼は戌塚と大都を知っていたのだ。
混乱するのも当たり前といえば、当たり前かもしれない。

「あ、乾悟麒くん。私の…えっと親戚?」
「どうも、はじめまして」

低いが、それほど圧倒されるものでもなく、落ち着いた声を発する乾。
背が高いというので、ついつい見下ろされがちだが、乾は他者を見下ろすという雰囲気は無い。
圧倒されがちだが、馴染めば怖くは無いだろう。

「俺の後ろに居るのが、坂井健」
「以後、御見知りおきを」

紹介されて一礼する。その様がなんとも板についたものであった。
男子生徒にしては長い髪が、礼と共に揺れる。それすら違和感を感じなかった。
独特の雰囲気。そういうものを、坂井健は持っていると、戌塚は感じている。
何者にも侵食されない、そんな領域。
十五〜六の子供がそんなものを持っているのか・という事実にすら軽い衝撃を受けたのも確かである。

「で、乾は何で戌塚さんと大都さんを知ってるんだ?」
「…妹の影響だな」
「濡唯ちゃんの?」
「ああ。戌塚志乃弥と大都蓮璃は―剣道の全国制覇者じゃないか?」

「「なにぃーー!!!?」」

一呼吸開けて、思わず叫んでしまったのは井川と犬飼だった。



 * * * * *



学長室へと向かう道中、七名までに増えてしまった人数。
その間、しきりに質問されていたのは戌塚と大都で、質問していたのは井川・犬飼・坂井だった。
井川・犬飼は、戌塚と大都が剣道をしていたというのも初耳だったらしくさらには全国制覇という事にも目を輝かせていた。
坂井に至っては、それ程の実力者が近くに居た・という事に目を輝かせていた。
そんなやりとりを背後に感じつつ、前を行くのは乾と江山である。
いつもならほとんど人通りの無い廊下なのだが、この日に限って、多少人通りがある。
生徒がここにいる・ということすら稀なのだ。

「悪い事をしたな、あの二人に」
「ん、でも志乃弥が人酔いしてないからいいと思うよ?」
「戌塚は…人酔いするのか」
「うん。クラスの人数でも軽くしてたの」

今は慣れてるけど・と江山が付け足す。
妹の濡唯(ぬい)に付き合わされて見た、雑誌の一ページにあの二人が載っていたのを思い出す。
肩書きに興味のなさげな目をした戌塚と、人当たりのよさそうな印象を受けた大都。
正反対に見えた二人だが、結構仲が良いらしいというのも妹から聞いた事だ。
その二人がまさか揃って楠総学園にいるとは…乾は嘆息しながら、足を進めた。
妹に知らせれば、この学校を受験するといって聞かないだろう。一体どうしたものか。

「賑やかだね〜」

廊下を曲がろうとした一行にかけられる声。
今日はなんだか良く声をかけられるな・と江山が中庭での事を思い出しながら思う。
声をかけたのは、目の前に居る男子生徒だろう。
坂井よりは短いが、周りの男子生徒に比べれば長い髪を、耳の高さに括っている。
少々茶色がかった髪が陽に透けていた。

「君等も学長室へ?」
「ああ」

乾が答える。つい、他者に対して警戒してしまうのは乾の癖でもある。
その乾の目に見えぬ行動を知ってか知らずか、声をかけた男子生徒は一歩近づく。

「じゃあ、僕と一緒だ」
「は?」
「僕も、担任に言われて、学長室へ来たんだよ」

だから、一緒。
人懐っこい笑みを浮かべて、彼は言う。だが、その腹の内は読めない。
ちらり、と乾は傍らにいる江山を見る。江山も同じ様に乾を見て、こくりと頷く。

「そう、警戒しなくてもいいだろ、乾」

後ろから唐突に声が投げかけられる。先程から質問攻めにあっていた戌塚だ。
乾が警戒している様子をさも同然と言った口調で看破した。
警戒されていたという事に、驚きつつも、どこか楽しげな表情を浮かべた彼が続ける。
乾、江山と並ぶように、戌塚が自然と前に歩み出る。

「学長室へ、何故呼ばれたか知ってるか?」
「あれ?聞いてないの?」
「ああ、少なくとも、私と江山は聞いていない」
「俺もだ」
「うん」

戌塚・江山は担任から学長室へ行け、としか聞いていない。
それは乾や坂井も同じ様だ。何故、呼ばれたかすらわかっていない。
少々間の抜けた表情を浮かべるが、納得したのか彼が言う。

「あ、僕は村上鹿屋、普通科所属。よろしくね」
「戌塚志乃弥、体育科所属だ」
「体育科の子?へー珍しいね」
「何故だ?」
「体育科で呼ばれたのって…戌塚サンと」
「江山、です。江山新」

やや遠慮気味に江山が口を開く。
学長室へ呼ばれた理由を知っている村上は、珍しいといった。
一体何事か。

「二人だけ?」
「ああ、他は…」
「戌塚が逃げないように」
「ついてきた!」
「あんた等は暇つぶしでしょ」
「「違いない!」」
「……あまり気にするな」

井川と犬飼がさも同然というように言うが、大都のツッコミで開き直る。
このようなやり取りは体育科では恒例なので気にはならないが、普通科ではどうかのかわからない。
一応、戌塚が一言付け足しただけではある。

「楽しいなぁ〜体育科は」
「いいなー、楽しそうで」

村上、坂井は結構気に入っているようだ。

「あ!俺は、井川だ、井川総騎!よろしくな、村上!」
「俺は犬飼夜樹!村上、言っておくが…井川と間違えんなよ?」
「うん、よろしく〜」
「……早いな」
「早いね」

打ち解けるのが早くないか…?と思うが、井川・犬飼なので納得はいく。
そんな性質なのだ、二人は。相手に警戒心を抱かせないというか…。
裏表の無い性格ではないか、とも思う。

「俺は、坂井健。」
「よろしくね」

順順に自己紹介がすんで行く。
大都が、学長室に面した壁際に視線を移し…一瞬、息を呑んで目を見開いた。
戌塚が反射的にその方向へ目をやる。
手持ち無沙汰な面持ちで、壁に寄りかかってる男子生徒が居る。
全ての拒絶。
それが第一印象であり、纏っているものでもあった。
やや長目の前髪から覗くのは、鋭い目。村上と同じぐらいの長さの髪をうなじ辺りで括っている。
その生徒がこちらに視線を向けたと同時に、大都が口を開いた。

「道長!」

信じられない、という感情が声に含まれていた。
胡乱げに上げられた、道長と呼ばれた彼の視線が大都を捕らえる。
多少訝しげな表情を浮かべると、諦めたように体を浮かせこちらへ歩み寄ってきた。

「な、なんであんたがここにいんの?!」
「入学したから」
「別の学校かと、行ったと思ったの」
「不都合か?」
「……そういうわけじゃない」

短い、淡々としたやり取りが大都と"道長"の間で続く。

「どうせ、特進なんでしょ?」
「いや、普通科」
「……………は?」
「一度で聞き取れ」
「山木は、僕と同じクラスだよ。大都サン」

村上が口を挟む。
いまだ、信じられないのか大都は"道長"を見上げていた。
短めのため息をした後、"道長"が口を開く。

「山木道長、この通り普通科在籍中だ」

差し出された学生証には顔写真と氏名・所属学科が印字されている。
ICカードでもあり、身分証明証でもある。
学生寮の鍵代わりにもなっているので、紛失しないようにと厳重に注意されたものだ。
それが、名札代わりでもある。
学生証をみて、ようやく納得したのか大都がそうか・と、小さく呟いた。

「お前は?普通科か、それとも体育科か?」
しぶしぶ…ですな
山木に尋ねられて、バツが悪そうに大津が自身の学生証を取り出す。

「体育科。推薦貰えたって・言ったじゃん」
「…ああ」
「何故いる」
「道案内。友達が呼ばれてんの」
「そうだな」
「何の話よ」

不服そうに眉を歪めて大都が山木を軽く睨みながら見上げる。
こいつ等は知らないのか、と眉間に軽く皺を寄せて山木が村上に問う。
笑みを浮かべつつも頷いた村上に、盛大なため息をつく山木。
戌塚が思い出したように辺りを見渡せば…十人前後の生徒が学長室前に集まってきている。
その中に数名、睨まれるような視線を感じ訝しがる。
殆どが初対面な筈なのに、何故か敵視するかのような視線が混ざっているのだ。

「そろそろ時間だ」

山木がそう告げると同時に学長室の重厚な扉が開く。
それを合図に、集まっていた生徒達が学長室の中へと入っていく。
唖然としながら眺めていたが、担任に告げられた以上、戌塚もその中へ入らなければならない。

「いってくる」

短く告げれば、弾かれたように大都が返す。

「うん。じゃあ、先に教室帰ってるわ」
「ちゃんと、帰って来れるのか?戌塚」
「井川…お前は私を何だと」
「江山も一緒だから、大丈夫だって。ほら、帰るぞ総騎」
「う、うん…」
「ちゃんと、志乃弥は連れて帰るから」

苦笑しつつも江山がそう告げて、三人が来た道を帰る。
ここまでついてきてくれた三名を見送りながら、戌塚と江山も学長室へ一歩を踏み出した。



学長室の中は―どこか特殊な雰囲気に満ちていた。
生徒以外にも、教師が数名居た事により室内の人口密度が上がっている。
見なれた顔の教師がいるし、見た事も無い教師もいる。担任がいる事に、一種の安心感を感じた。
室内を見渡せば広めの部屋に、観葉植物とソファー。
一種の応接室とも呼べるような部屋であるが、壁にかけられている写真がそれを別の意味で壊す。
部屋の奥、窓際に備え付けられている立派な机と、椅子。
そこへ腰掛けているのがこの楠総学園の学長だろう。
白髪混じりの髪を後ろへ流し、壮年の表情は威厳を称えている。
その脇に控えるように立っているのが、教頭と、学年長である教師だろう。
教頭と思わしき人物が手にした資料をちらりと見て、室内には充分聞き取れるほどの声を発した。

「では、呼ばれる順に前へ」

パラリ、と紙をめくる音が静かに響く。

「山木道長、佐々木拓磨、村上鹿屋…」

教頭がゆっくりと名前を読み上げていく。
一人、一人、と順々に前に出て並んでいくのを、戌塚は淡々と見ていた。







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