03 // 距離を実感する

距離にして、30m程。
道のりにしてみれば、倍はあるだろう六十mほど。
近いようで、遠いような、距離。

「呆けた顔だな」

渡り廊下で中庭を見下ろしていると、そう、言われた。
辺りに人影がいない。
声をかけた主以外は。
肩ぐらいに伸び、括られた髪が風に靡いていた。
半眼で、なおかつ前髪で見え難くなっている為、周りには怖い印象を与えている。
実際、口をついて出てくる言葉も淡々としたものが多い。

「相変わらず、ね」

相手は小さく嘆息して、距離を縮めた。
テスト期間中の放課後なので、校舎に残っている人は極端に少ない。
それぞれが寮に帰り、勉強をしているか、誰かの部屋に集まって勉強している場合が多い。
こうやって校舎に残っていても、この渡り廊下に来るというのは稀だ。
滅多にいない。
風に吹かれるには、ちょうどいい場所。
屋上は、強すぎるから。私的にはこちらの方が好きだ。

「やっぱ学年トップは余裕?」

手すりに持たれかかりながら、尋ねる。
礼儀に反して、視線は中庭へ注いだまま。
近くに来るのが分かった。
それでも、視線は上げなかった。
嫌味を込めた一言だ。
こちらはいくら勉強しても、思ったように点数が上がらないから。
憎らしい反面、羨ましいんだと、自分でもわかっている。

「いや、集中できないだけだ」

髪が、靡く。
何処かを見ているようで、何処も見ていないような目。
それが、不思議でならなかった。
ちゃんと、彼は見ていてくれるのだろうか。

「道長は…要領良いから、羨ましい」

ぽつりと、本音が出た。
道長。本名、山木道長。普通科所属。
先に行われた学力診断テストで特進科を押しのけて、見事学年一位を飾った人。
他にも数名、特進科を押しのけて学年上位二十位に入った人もいる。
その二十位以内に体育科からも数名入っていたので、先生方は随分と驚いていた気がする。

「お前は、下手に力が入りすぎるんだ」

やる前に深呼吸でもしてろ。
飽きれるような口調で、そう言われて。
何となくむかついたから、蹴った。軽く。

「珍しくアドバイスくれると思えば…」
「素直に受け取れ」

あの言い方はむかつくから却下。
道長に向けていた視線を、再び中庭に戻す。
校舎の二階と三階の間ぐらいに伸びた木々が、一定間隔に並んでいる。
植木算とかあったな…。
自分で思い出して、嫌悪した。せめて今だけば数学から逃げたかったのに。

「道長のせいだ」

勝手に相手のせいにして、うな垂れる。
相手はそう気にもしていないのか、先ほどと変わらない様子で中庭を見ている。
同じ場所を見ていても、視線の先に映っているのは違うのだと、痛いほど感じる。
視線も、立つ場所も、境遇も、何一つ同じ物が無い。
肩を並べる事すら、出来ないのかと、そんな忘れかけた感情が蘇る。

「蓮璃」

ポツリと、それでも淡々とした声で名を呼ばれる。

「俺は、ここへ来てお前に会うとは思わなかった」

しゃがんだまま、道長を見上げる。
風は、変わらず吹いている。絶えず緩やかに、駆けぬけている。
それだけ言うと、道長は普通科棟へと歩いて行った。
その背中が見えなくなるまで、見ていた。
手すりを持つ手に、実感が無くなっていく。
忘れかけていた感情が、堰を切ったように自己主張をし始める。

「…そんなの、」

私もだ。
声にならない声を、押し殺した。
誰も来ないのがわかるのに、押し殺した。
泣くのは、嫌だった。
会いに行こうとすれば、行ける距離。
それでも行かないのは、拒絶されるのが怖いからだ。

「遠い…」

空を見上げれば、風に乗るように流れる雲が目に入る。
常に形を変えつづけるそれが、どこか羨ましかった。
不変を抱え込んだまま、立ち竦んで動けない自分とは、正反対で。
言葉を交わしただけ。
交わす分だけ、縮まる事の無い距離を、改めて感じてしまった。


「追いつけないのかな…道長」

彼は、手の届くようで届かない位置にある気がした。
それが、山木道長という人であり、最大の距離なのだと…。
振りきる事の出来ない感情を抱えたまま、彼とは逆方向の廊下を歩いた。





《大都蓮璃&山木道長》




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