08 // 学割
「学生の特権だね」
部活の練習中に携帯を眺めつつ、呟いたのは坂井健。
その近くに腰を下ろして、材木を切っているのは乾悟麒。
お互い演劇部所属で、同じクラスなので、気付けば一緒にいる。
かたや役者、かたや大道具係。
性格も反対に位置するような二人が、反発する事も無くこうして一緒にいるのは不思議としか言いようが無かった。
「何がだ」
材木を切り終えた乾が坂井に尋ねる。
すでに数本が同じ長さに切りそろえられている。
額に巻いたタオルがずれ落ちないように、締めなおし、切り口を眺めている。
「学割」
安く済むならそれでいい。
乾が切り口に軽くヤスリをかけながら言う。
視線は材木に向けっぱなしなので、当然坂井には向いていない。
それでも、坂井は乾を見ていた。
大道具を作っているのを見るのが好きなのだと、坂井は乾に言った。
好きにしろと、乾は返した。
だから坂井は好きにしている。
「安いってのは魅力だよね」
実家が一座を運営しているので、幼い頃から芸に携わっていた。
演じる事が、日常の一部だった。
この高校へ入ったのも、演劇部が有名だったから。
その理由だけで、両親は入学を承諾してくれた。
そして、携帯を持った。
時折、両親や兄から連絡が入る。用件は大抵、舞台の事がほとんどだ。
たまに戻って舞台に立ったりもする。
「電話とかメールとか、結構出来るしさ」
乾はあまり話さない。
話さないけど、話はちゃんと聞いていてくれる。
だから、傍から見れば坂井が一方的に話しているようなのだ。
実際、そうなのだろう。
坂井が十ほど話せば、乾は二ほどしか話さない。
適当な相槌なんかじゃなく、ちゃんとした、返事を乾は返す。
「俺は苦手だな」
「乾のメールは用件だけだしねぇ」
ヤスリをかけながら乾が声を発する。
坂井よりも低い、声。
同じ歳でも、坂井の声は若干平均より高めだ。
別にそれを気にするわけでもなく、嫌う事も無く、乾は坂井の話を聞いている。
恐らく、入学して始めてクラスで話したのは、坂井だったと記憶を手繰る。
視界に入った。それは他のクラスメイトもいた。
しかし、目を引いたのは坂井だった。
独特の雰囲気で、存在感があった。
その存在感が、嫌ではなかった。だから、自然と受け入れられた。
嫌いではない。
それが、乾の坂井に対するものでもある。
「乾は手を抜かないね」
大道具を作ることに対してだろう。
こうやってヤスリをかけているのも役者や、これを取り扱う人が怪我をしないように、との配慮だと坂井は思った。
乾はそういう気遣いが細かい。
「折角、細かな心遣いがあるのに。メールじゃ生かされてない」
「…苦手だ」
メール、というものが。
もともと文章で相手に伝える、というのが苦手なのだ。
その延長線上にあるメールというのが得意なわけが無い。
「じゃあ、慣れよう」
やけに弾んだ声で坂井が言う。
自分でもナイスアイディア!といわんばかりの雰囲気だ。
対象に乾は、作業する手が止まった。
さらに、思考も止まった。
「学割で安くなってるんだし、ちょっとづつメールに慣れないとね」
とてもとても嬉しそうに坂井が笑顔で言う。
これから毎日メールをしよう、とでも聞こえてくるようだ。
乾の顔に心なしか、青筋が立っている。
「学生の特権を利用しない手は無いね!」
まるで練習中のような、活き活きとした表情と声。
誰か嘘だと言ってくれ。
乾悟麒、メールの特訓が一方的に決定。
「これで言いにくい恋愛相談も出来るね」
より一層、坂井の笑顔の輝きが増した気がする。
絶対にするもんか。
…坂井に敵うはずも無いのだが、なるべく頑張ろう。
そう、決心した乾だった。
《坂井健&乾悟麒》
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