心配しない わけがない。


「騎馬隊!」

ざわめきが支配する世界に響き渡る大音声。
隊列を乱していた騎馬が掲げられた方角へと全て蹴散らして行く。
湿った空気と汗と泥、そして血の匂いが鼻につく。
集中と緊張が山場に差し掛かっている。
これ以上引き延ばせば、いくら状況がこちらに傾いているとっても、些細な事で不利に働きかねない。
木々の生い茂った場での戦は何度やっても気は抜けないので視界だけでなく、五感で戦場を見渡す。
先ほど蹴散らして小隊以外に敵はいないはずだ。
部隊が敵を殲滅し、斥候が戻るのを待つ。
隊列は崩さず、短時間で乱れた呼吸を整える事に専念させるよう徹底させた。
普段から重点を置いてさせている事でもある。
斥候が戻る頃には部隊のほとんどが回復させていた。

「何か」
「隆景隊 敵将打ち取り」
「よし」
「敵城確認 南南東へ三里の湿地帯を抜けた丘に」
「よし」

一つ下の弟が手柄を取った事は喜ばしい事だ。
軍師という立場に当たるが武の腕も立つ。
長兄を大将とし、この盗賊達の討伐を命じたのは他ならぬ父だった。
天性の策士と謳われた父 毛利元就は中国のほとんどを手中にしたが、天下は狙わなかった。
天下を狙わず自国を豊かにする事を専念した。
しかし、幾度と無く戦をした。
他国からの侵略および内通者を介した陽動…それら全てを蹴散らしてきた。
今は中国だけではない。
四国の長曾我部も同盟を組んでおる為、共にある。
四国の覇者 長曾我部元親は幼い頃から知った人だった。
あの父が 母以来に向ける笑みを見た時…彼は既に毛利の一員だった。
四国の人達も本当に信頼の出来る人達だった。

「海上経由で長曾我部の援軍が来る!それまで敵を減らす!」

三里を一気に駈けては歩兵が着いて来れない。
騎馬隊を分割し、斥候も兼ねた小隊を編成しなおし先に行かせる。
常々の状況確認が無ければ最悪孤立してしまう。
怠るなと、長兄と末弟から口煩く言われ続けたからには、怠るわけにいかない。
馬が草を踏む音、人が走る音、鎧の音…様々な音が耳に届く。
微かな物音すら逃す事のないように全てを拾うかのように、元春は集中していた。

「若殿も随分成長致しましたな」

不意に脇から声をかけられる。
古くから毛利に仕えている家臣だった。
それこそ、自分が生まれる前から…。

「俺も十八だ。多少は成長する」
「ふ ふふふ、よき伴侶も娶られますれば…帰りが待ち遠しゅうございましょう」

どっ と笑いが生まれる。
半年前に祝言をあげたばかりなのだ。
この部隊は昔からの者が多い為、遠慮はほとんど無い。
自分よりも年上なのだ。全員が。

「それは関係無い」
「いえいえ…熊谷殿から伺っておりますぞ。若殿は随分と奥方を寵愛しておられるとか…」
「さらには稽古も自身がおつけなさると…」
「縁談前に城下へ連れ出したり…」

部隊の者達から出て来る出て来る…一体いつの間に把握したのか、祝言前のものまで混ざっているではないか。
移動中にも関わらず談笑が出来るのもこの面々なればこそ、だろう。
場数は踏んでいるし、何度も死線を超えてきた。
独特の勘というものが働くのだろうか、今のところは、大丈夫のような気もする。

「若殿、そろそろ敵のねぐらが見えますぞ」

斥候部隊が離れた箇所で待っていた。
自然と呼吸を抑え、気配すらも絶つかのように抑えていく。
馬から下り、木陰からねぐらを覗く。
小高い丘の上にぐるりと巡らされた丸太の柵が目につく。
元々小さな砦があたった場所だ。
それを元にして、今のねぐらを作ったのだろう。
物見櫓には見張りらしき二三人が辺りを見渡していた。
撃破した数からおよそだが、砦にいるだろう数は予測出来るはずだ。
国境すら超えて出没し、広範囲に渡って荒らし回る大規模な盗賊だ。

「百…ぐらいか?」
「最近では流れの兵すら盗賊としておるほど…」

音も無く頭上の木から降ってくる黒い影。
辺りにざわめきが生まれるが、静かに制する。
濃紺で身を包んだ者、露出しているのは目しかない。
「総数は二百近い。しかし半数近くはみな撃破されているが…」
砕けた口調で報告をしてくる戦忍。彼とは五年ほどの付き合いになる。
権力や外見というものにほとんど執着していないから気に入った、と申し出てきたのだった。
戦場の状況把握には一役も二役もかって出た。
殿を勤める際には追っ手が来ぬよう助力もしてくれた。
その彼が、言葉を途切れさせた。

「砦に残っている数が少ないか?」
「百前後にしては少ない。五十だ。五十程しかいない」

ざわりと、背筋に何かが覆い被さるような感覚。
凍るというものではない。まるで斬りつけられるかのような…。

「城…」

反射に言葉が口から零れた。
同時に木々の合間から早馬が一頭駈けて来るのが視界に入る。
乗っているのは具足から判断して武将…あれは、

「隆家義兄上?」

姉婿の宍戸隆家だった。
よくよく見れば後ろから、彼の部隊の者達が駈けて来ている。

「元春!」

いつもならば長兄の隆元と似た笑みがある顔に、焦燥が浮かんでいる。
滅多に焦らぬ彼が一体何を焦っているのか、この時はまだ核心が無かった。

「義兄上、一体…」
「城が襲撃される」

静かに、はっきりとした声に息を飲んだ。
あの感覚はコレだったのだろうか。
隆元が言う城は恐らくここから一番近い城。
賊の討伐に関しての対策を行った城だ。
あの城には…

「…可愛と友がいる」



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