あの予感はこの事だったのだろうか。
震えそうになる体を必死に押し留める。
感情に流されてはいけない・と自己に言い聞かせる。
「賊が、城を襲撃する…と」
声が震えていない事に、安堵する。
ここで動揺してはいけないのだ。
動揺すれば、一挙に伝染し―士気が下がるか、各自の感情の暴走を招く。
将たるもの、常日頃から感情を意のままに操れなくてはならない。
先を見るかのような目をして、父はそう語っていたのを思い出す。
「斥候から伝達が来た。賊の半数が、城を狙って既に移動した後だと」
「愚劣な」
部隊の者たちが息を呑んだのがわかった。
つい、父の口癖が出てしまったのは…多少の失態ではあるが。
毛利元就の子であるので仕方ない、と片付けてもらおう。
「何故、賊が城へ攻めねばならぬのですか?義兄上」
「わからん。城を落とせばこちらに対して優位になれると思ったのだろう」
「それで…一番近くの城を落としに?」
「だろう。少なくともその事に関して総大将は焦ってはいた」
城の数はそう多くない。
それ故かもしれないが、それ以外にも何か理由があるのかもしれない。
少なくとも戦をする面で考えてしまえば、城を取るか取らぬかで戦局は変わってくるだろう。
この近辺には他に二つの城があったはずだ。
距離から言えば、居城とした城が一番近いが…
「隆元兄上は一体何と?」
長兄が焦るのもそのはずだ。
居城とした城には、毛利元就の長女である可愛がいる。
それに、熊谷氏の娘である友もいるのだ。
賊が城へ攻めてもし何かあれば―恐らく長兄は賊を根絶やしにするまで戦をするだろう。
少々歳の離れた兄弟なのだ。
兄は随分と自分たち弟妹を溺愛しているし…こちらも兄を充分すぎるほど好いているかもしれない。
普段、静かな人物なだけに激昂すると手が付けられなくなるのが長兄なのだ。
「すぐにでも城へ向え・と」
今から城へ引き返せば賊が攻めるまでには間に合うかもしれない。
何があっても城への手出しを許さぬようだ。
その辺りは…父譲りなのかもしれない。
「今、俺達が向えば確かに城は無事でしょう。しかし、砦に残っている賊は?」
「隆景隊を始め、他の部隊が何とかするんじゃないのか?」
「俺たちは賊を殲滅させてきた。勢いに乗って…砦を攻めるつもりでここまで来たのです」
賊が城を襲撃すると聞いて、血の気が引いた。
平衡感覚すら危うくなったのも事実だ。
しかし今は―
「賊の討伐でここまで来た。ならば敵を討たねばなりませぬ」
「元春!!」
「若殿!!」
馬上へと戻り、腰に差していた刀を抜く。
刀身が光を反射して静かに光る。
「敵を討つ。討った後に城へと向う」
隆家が未だ信じられないような目をこちらに向けていた。
迷っている暇は無いのだ。
隊を整列させ、鐙を再び踏みしめる。
「隆家義兄上…先に城へ向ってください」
「……それでいいのか?」
「必ず向う。俺たちが抜けたら、きっと…賊相手に梃子摺る。相手は恐らく必死に抵抗するだろうから」
「お前は―」
「心配しないわけがない。しかし、戦の途中で戻れば
それは―裏切る事になる」
刀を頭上で一回、円を描かせる。
隆家義兄上の返事も聞かずに駆け出していた。
突撃。
騎馬隊を先頭に、送れぬように駆けていく歩兵も共に砦へと突っ込む。
「鬨を上げろ!一気に駆け抜けるぞ!!」
辺りの空気を震わせて、駆け抜ける。
物見櫓にいた見張りが慌てたように警鐘を鳴らしている。
それを―部隊の者が弓で射る。
立て続けに三矢、全てが命中し物見櫓に人影が消えた。
目の前にある柵を抜け、門に近付けば自然と開く。
戦忍の仕事だろう。後で褒章を弾まねばならぬな。
「焦燥するなら十の敵を斬り安堵へ導け!死を思うなら生きる為の刃を振るえ!!」
騎馬隊が速度を増して門を潜る。
歩兵が槍を構えて敵を威嚇する。
頭上からの弓矢など、訓練で何度も受けた。
今更、怖がる事も無い。
「毛利の強弓、その身で味わえ!!」
騎馬隊の影から歩兵が弓を射る。
賊のものとは比にならぬ矢が、次々と数を減らしていく。
敵の流れを見つつ、騎馬隊が駆けてゆき狩る。
他の部隊は砦の外で思うように前進できずにいるらしく、援軍は未だ来ない。
孤立していると言われれば、しているだろう。
後で総大将である長兄にどやされても、軍師である末弟に小言を食らっても、退く訳にはいかない。
「援軍が来たら即引き帰す!それまで存分に狩れ!!!」
怒りをぶつけるかのように近付いてきた敵を斬り捨てる。
数度、矢が射られたが叩き落し、打ち落とさせる。
砦内が徐々に静かになり始めると、門前にて声が集まり始める。
味方の部隊が到着してきたようだ。
「元春兄上!?」
「隆景か…あとは頼んだぞ!」
近くにいた者に後の下知を頼み、即座に砦を抜ける。
後ろから末弟がなにやら叫んでいたが、気にしている余裕は既に無かった。
馬を潰す事を覚悟して、駆けさせる。
隆家義兄上がどこまで駆けていったのかはわからないが、そろそろ城に着いているはずだ。
五十ほどの敵を相手に、城に残った者達はどう出るだろうか…。
城が見えてくるまでの間、生きている心地がしなかった。
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