「矢の残りは?」
「あ、あとはもうこれだけしか…」

弓兵に尋ねれば、賊を全て射止めるには少ない数が返ってくる。
しかし、それらを全て射ればもしもの際の手立てが無くなる。
小さなため息をついて可愛は物見から外を見やる。
幾分か勢いを殺いでいるとはいっても、まだ充分ではない。
そろそろ二の丸も破ってくるだろう。それが勝負時に違いは無い。
本丸まで来れば、賊は多少気が緩むであろう。

「この城が手薄だということ、よく存じて…」

自嘲するかのような言葉が滑り落ちる。
事実、他にいくつかの城はあるが、賊はここを狙っている。
城を落とすだけなら他の城でもいいのだ。
それなのに、賊はわざわざこの城を狙っている。
火を放ち、精神的な攻め方も心得ているのはただ単に実戦で試したからだろうか。
様々な思考が流れていくが、それらを一つ一つ考え込んでいく暇も無い。
その暇があるなら、現状を打開するための策を考える方が数段ましだ。
援軍がいつ来るかもわからない上、賊は眼で確認できる位置にまで近づこうとしている。
表門で食い止められるならいい。
だが、それは敵わない。賊は恐らく門を破るだろう。

「矢は残しなさい」

そして、弓兵の中に見慣れた顔を見つける。

「貴方が射なさい。残りを」
「…え?」
「もう一度言います。貴方が残りの矢を射なさい」

彼は確か末弟の部隊の者だ。弓の腕が確かだと、末弟が口にしていた者。
ならばその腕にかけてみよう。

「確実に敵を射抜きなさい」

彼にしてみれば、それは無理な命かもしれない。
だが、こうするしか他にないのかもしれない。
驚愕を浮かべた彼が、徐々に冷静さを取り戻していった。
一呼吸を置き、しっかりとした声が返ってくる。

「畏まりました」

矢を、手渡す。

「他の者は、投石を」

矢が無いなら石でも投げるしかない。
それでも、充分効力はあるはずだ。あとは、自身が何とかするしかない。

「賊の相手をしに参りましょうか」
「はい」

戦装束をまとうのは何もこれが初めてではない。
過去に数度、袖を通して入るが本格的な戦はこれが始めてだ。
表門へと続く回廊を歩むにつれて、普段とは違う感覚がふつふつと湧き上がってくる。


−なるべくなら、実戦を経験して欲しくはないな。


辛そうな、悲しそうな面持ちで夫の口からこぼれた言葉が蘇る。
そういうわけにもいきませぬ、とあの時返した。
毛利元就という父を持つ自身にとって、戦は無関係では無い。
毛利隆元という兄、吉川元春、小早川隆景という弟がいる。
そして宍戸隆家という夫を持つ身として、戦からは縁が切れるものではないのだ。
稽古の相手は隆家自身だった。
時折訪ねてくる隆景や、元春も相手になってくれた事もある。
武の心得は、多少なりともある筈だ。
それを、実戦でどう生かすことが出来るかが、眼前に控えている問題でもある。

「一人ではありません、義姉上様」

いつの間にか、薙刀を持つ手が震えていたのに気付く。
いくら覚悟を決めたとしても、怖いものは怖いのか、と。

「私も、微力ながら助力させて頂きますので…」

申し訳なさそうに、友が微笑む。
充分だ。それだけで充分なのに、自身は何を望んでいたのだろう。
勝ち目の無い戦でもない。まして敗戦でもないのだ。
戦況をひっくり返せる可能性は十二分にある。
ただ、それを実行する為に今一歩、踏み出せない自分がいるだけだ。
迷ってはいけない、怯えてはいけない、踏み出さなければならないのだ。
今ここで迷えば、それは死に直結すると言っても過言ではない。

「生き抜きましょう、友」

生きて、この戦況をどうにかして…会わなければならない。
あの人に、宍戸隆家という夫に。

「元春に怒られるかしら。友を勝手に戦場へ引き込んじゃったしね」
「そ、そんな事はありません!私も望んでこちらへ参ったのですから…」
「ふふ、冗談よ。それに、元春が怒るのは多分、賊だから」
「それは…確かに賊相手には怒ると」
「怒ると手が付けられないのよ?元春」

きっと友に何かあれば、あの弟は容赦ない。
周りの者を振り払ってでも、賊を斬り捨てるだろう。
一度激昂した弟はなかなか抑えられないのだ。
どうしようも出来ずにいると、父がやって来てようやく対処できたほどだ。
今回の戦に、その父は不参加であり、長曾我部軍も総大将は不在。
毛利・長曾我部軍の実戦を積むという目的での、賊の討伐戦。

「大丈夫よ、きっと援軍が来るわ。それまで持ちこたえましょう」

怖気づいていた自身を叱咤する。
天守には戦を経験したこの無い者達がいるのだ。
守らなければならない。
毛利の者として、上に立つものとして、守らなければならない者がある。

「女は守るものがあると、強いのよ」

そう友に告げると、表門へと歩みを向ける。


幼い頃に、記憶に残っている母が口にしていた言葉だ。


守るものがあるからこそ、女は強くなれるのだ・と。
そう口にした母の笑顔は色あせることなく、脳裏に焼きついている。
守るのだ、自身の手で。

「帰る場所がないと、隆家くん きっと泣くから」

小さな小さな言葉は、誰に聞かれるとも無く静かにとけた。




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